海外遠征史




10.静かな10年間

 ルドルフの遠征での挫折の後もまだ欧州ではシリウスシンボリが走り続けていました。本当ならルドルフが走るはずだったいくつかのレースに出走し、そこそこの結果も残していたことは前述の通りです。ルドルフの遠征の後、シリウスシンボリの遠征中にもう1頭フランスに遠征していた馬がいました。あっと驚く・・・です。

 日本馬としてシンボリルドルフに先着した2頭のうちの1頭であるギャロップダイナは天皇賞以外にも安田記念を制覇、札幌での見事なレース振りでのカラ馬1着、人気になると負け人気薄で勝つなどなど、非常に特色のある馬でした。そんなギャロップダイナは7歳の夏にフランス遠征を行っています。出走したのはマイルのG1、ジャック・ル・マロワ賞とムーラン・ドゥ・ロンシャン賞の2つのレースでした。安田記念を圧勝後、その勢いをかって真夏の遠征となったものの結果は12着、10着と大敗。まるで勝負にはならず、すぐに帰国し秋の日本での競馬に備えることになります。遠征後のギャロップダイナのエピソードに次のような話があります。

 現在でもそうですが、日本での検疫は入念なもので時間もかなりかかります。当時は1カ月半ほどかかり、その間は検疫所の厩舎で1頭、隔離された状態で過ごすことになります。さすがにこのことはギャロップダイナには堪えたようで検疫が終了し、初めて他の馬と一緒に調教を行ったときは、懐かしさとうれしさからか非常に喜び、ついには涙もあふれ出るほどだったとか。

 この話の真偽は別として日本での検疫の長さは大抵、馬には相当堪えるようで、これが原因で帰国直後の馬はあまり活躍ができる馬がいないようです。後のタイキブリザードのブリーダーズカップ遠征時に起きたように11月始めにブリーダーズCに出走すると日本の馬は1カ月あまりの検疫にひっかかり、JCには出走できず、同じようにブリーダーズCからJCに参戦する外国馬は出走できるというおかしな事態になってしまいます。(この件はタイキブリザードの時に日本馬も出走できるように改正されました。)空輸に検疫、慣れない食事と環境。人間でもこれだけのものをこなすとすると相当疲労が残ることは容易に想像できますから、少しは馬の気持ちが分かるのではと思います。(私なんか空輸だけで疲れてしまいますが・・・)国内での長距離輸送も然り、輸送や環境をこなすには慣れることが一番でしょう。競馬関係者らには、遠征は一度であきらめず負けても来年こそはという気持ちでいてもらえたらと思います。



日付馬名性齢レース名距離騎手頭数結果勝ち馬
1986.8.17 ギャロップダイナ 牡7 ジャック・ル・マロワ賞 フランス G1 芝1600m フィリップロン 13 12 Lirnng
1969.7.26 ムーラン・ド・ロンシャン賞 フランス G1 芝1600m フィリップロン 14 10 Sonic Lady



 ギャロップダイナの遠征も終わり、シリウスシンボリが帰国した後は、日本馬の欧州遠征はジャムシードなどの海外デビュー馬の出走を除くと約10年が過ぎたダンスパートナーまで全く行われません。それどころか遠征自体も7年間に渡って一度も行われませんでした。もしルドルフが勝っていたら、シリウスやギャロップが他国でも十分に勝負になったとしたら、今のように次々に遠征が続いていたかもしれません。スペースシャトル、チャレンジャーの爆発でアメリカの宇宙開発は10年近く遅れたと言われていますが、日本の競馬ではルドルフの故障で5年以上、日本馬の遠征計画が遅れたことでしょう。その後、遅れた遠征計画で再び発射したのは競馬でも高度成長し始めた、香港へ向かってでした。

 時は既に平成に入り、今からたった4年前の平成5年の春に再び海外遠征は始まりました。先陣をきったのはホクセイシプレー、冬にはナリタチカラ、トモエリージェントと続きます。

日付馬名性齢レース名距離結果
1993.4.18 ホクセイシプレー   香港国際ボウル 香港 芝1400m 14
1993.12.2 ナリタチカラ   香港国際カップ 香港 芝1800m 7
1993.12.2 トモエリージェント   香港国際ボウル 香港 芝1400m 14
1994.12.11 エイシンテネシー   香港国際ヴァーズ 香港 芝2400m 4
1994.12.11 ゴールドマウンテン   香港国際ボウル 香港 芝1400m 8
1994.12.11 フジヤマケンザン 牡5 香港国際カップ 香港 芝1800m 4


 上の表を見れば分かるように参戦した馬はいづれもG3クラス程度の馬ばかり、TOPクラスの馬は一度も参戦していません。理由は簡単で香港競馬のステータスが低いことに加え、そして4月、12月ともに日本でも天皇賞・春やJC,有馬記念など大きなレースが控えているためです。比較的日本と似た気候を持った地域ですから、時期的にも重なる体系であるということもあるのでしょう。ヨーロッパやアメリカでは通用しそうもない、その上日本でもG1では通用しない馬が、香港へと遠征する、こういう図式が現在でも定着してきています。実際に他国から参戦する馬達も1流馬ではなく2流馬が多く、またフジヤマケンザンが後に勝ったことを考えても日本でのG2レベル程度の競争と考えるのが妥当でしょう。そこにナリタブライアンやらサクラローレルやらを連れていって圧倒的な強さで勝ち、香港の人たちに日本に強い馬がいることを見せてやりたいという願いを持ったりしますが、これからもかなわないんでしょうね。ただ香港をとばして一気に世界中に日本のTOPレベルの馬の強さを示す機会はこれからも増えてくるでしょうが。そんな香港競馬が日本競馬会にとって大きなニュースとなる日がありました。長く待ち望んだもの、海外重賞の制覇でした。



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