海外遠征史




2.世界でも戦える?重賞制覇

 今でこそ海外遠征経験を持つ競馬関係者は数多くいますが、先駆者であるハクチカラの関係者の苦労はたいへんなもので、そして前途の険しいものでした。現在でも海外遠征の最大の難関と言っていい環境との適合が、ハクチカラの場合も重くのしかかり、当然ほとんど対応策や知識など持っていなかった当時は、結局水に食事、馬場に調教とほとんどすべてがハクチカラには馴染めなかったようです。7月2日から5戦を戦いますが、これらはすべて惨敗、負かした馬はたったの3頭という散々な結果でした。(下表)

日付レース名場所競馬場距離着順/頭数
1958.7.2 アローワンス 米国 ハリウッドパーク 芝1700m 9/9
1958.7.8 マンチェスター賞 米国 ハリウッドパーク 芝1600m 9/9
1958.7.22 サンセットハンデキャップ 米国 ハリウッドパーク 芝2600m 4/6
1958.8.23 ジミーデュランテ賞 米国 デルマー 芝1600m 6/9
1958.9.1 デルマーハンデ 米国 デルマー 芝1800m 6/7

(参考) 1958年=昭和33年

 この5戦を終えた時点で保田隆芳騎手は帰国、ハクチカラはその後もアメリカに残るのですが、この時すでにハクチカラの遠征は日本競馬にとって大きな刺激を与えることになります。短期間ながらもハクチカラと共に遠征した保田隆芳騎手が遠征中にいわゆる「モンキー乗り」をマスターし、帰国後これを披露、多くの騎手、特に若手騎手に大きな影響を与えたのでした。



 一方アメリカに残ったハクチカラの方は次第に水や食事にも慣れ、異国の風土に馴染み始めます。その後デルマーからサンタアニタに移ったハクチカラは、環境にとけ込んだことで本来の姿に近い状態まで回復、休み明けながら暮れのローズ賞(芝1800m)で2着に入りここに絶望から希望への道が広がりました。そして7歳になった元旦のレースで3着に入ったことで国内での強さが完全に蘇り、次3戦は2着、5着、4着と安定さも見せています。そしてあの日が訪れたわけです。

 アメリカに来て11戦目になるこの日、1959年2月23日、サンタアニタ競馬場は重馬場で開催されました。この日のワシントンズバースデイハンデ(芝2400m)に当時の世界最高賞金馬ラウンドテーブルが出走、断然の本命とされ注目レースでもあったのです。このレースの全出走馬は16頭、この中の1頭がハクチカラでした。レース内容については詳細は分かりませんでしたが、どうやらレース中に本命馬ラウンドテーブルは故障発生、混戦の中ゴール板を最初に駆け抜けたのは、そう49.4kgの軽量をいかした日本のハクチカラだったのです。

 このハクチカラ重賞制覇は、当時の米国競馬界でもひとつの大きな話題として取り扱われ、日本競馬界へは大きな自信を関係者に与え、海外遠征へのあこがれとそしてその実現に向けて、翌年からの遠征ラッシュに拍車をかけることになりました。

 ついにステークスウィナーとなったハクチカラだったのですが、その後はあの1戦で燃え尽きてしまったのか、遠征当初のような成績に逆戻り、勝った後の6戦はしんがり負けかその次という残念な結果で帰国しました。(下表)厳しく言えばあの勝利は軽ハンデのおかげと言えるでしょうし、ラウンドテーブルが故障しなかったら勝っていたかどうかは分からなかったでしょう。ただ歴史に名を残したことは事実ですし、この後平地では40年近く勝ち星が挙げられなかったということからも素直にハクチカラの大きな勝利を認めてあげるべきなのでしょうね。

日付レース名場所競馬場距離着順/頭数
1958.12.26 ローズ賞 米国 サンタアニタ 芝1800m 2/10
1959.1.1 サンガブリエルハンデ 米国 サンタアニタ 芝2000m 3/ 9
1959.1.16 カリフォルニアステートフェア賞 米国 サンタアニタ 芝2000m 2/12
1959.1.27 リバーサイド賞 米国 サンタアニタ 芝1800m 5/11
1959.2.10 サンルレイハンデ 米国 サンタアニタ 芝2400m 4/11
1959.2.23 ワシントンズバースデイハンデ 米国 サンタアニタ 芝2400m 1/16



1959.3.11 サンファンカピストラーノハンデ 米国 サンタアニタ 芝2800m 14/14
1959.5.9 クレアモント賞 米国 ハリウッドパーク 芝1600m  6/ 7
1959.5.23 カリフォルニアンS 米国 ハリウッドパーク 芝1700m  9/ 9
1959.6.24 ボウリンググリーン 米国 ベルモントパーク 芝2200m 11/11
1959.7.4 サセックスターフハンデ 米国 デラウェアパーク 芝2200m  8/ 9
1959.7.22 トウインクリング 米国 デラウェアパーク 芝1600m  6/ 7

 帰国後のハクチカラは翌年から種牡馬生活にはいりますが、海外からの輸入種牡馬の流れに勝てず国内でこれといった活躍馬を残すことが出来ませんでした。

 そしてハクチカラは16歳の昭和43年、2度目の海外へと旅立ちます。目的地はインド、デカン高原の南側、標高900mぐらいの牧場で種牡馬として余生を送るためでした。そのインドでは初年度からインドでのオークスとセントレジャーの勝ち馬を出し、最後まで海外の似合う馬として昭和54年、インドでの10年にも及ぶ生活を終えその生涯を閉じました。



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