海外遠征史




7.目の前に立ちふさがる壁

 スピードシンボリ、タケシバオーと超一戦級の馬の遠征が続いた後は、3年経ってメジロムサシが凱旋門賞とインターナショナルSに遠征、さらに3年後、主な重賞勝ちが函館記念というローカル馬ツキサムホマレが、翌年に天皇賞、宝塚記念勝ちのフジノパーシアが、4年後にハシクランツが同じインターナショナルSへ出走しますが、いづれも大敗してしまいます。その負け方はすべて下から3番手以内という散々な結果でした。インターナショナルSについてはこれまでに何度かお話ししましたが、出走馬たちの優勝馬との着差を並べてみると日本と世界との壁の大きさがはっきりと分かります。

馬名着順/頭数優勝馬との着差
62年 タカマガハラ 10/13   32馬身
64年 リュウフォーレル  8/8   30馬身
67年 スピードシンボリ  5/9    8馬身
68年 タケシバオー  8/8   24馬身
69年 タケシバオー  7/7   35馬身
72年 メジロムサシ  7/7   43馬身
75年 ツキサムホマレ  9/9   30馬身
76年 フジノパーシア  6/8   23馬身
80年 ハシクランツ  8/8   44馬身


 上の表の通りスピードシンボリ以外は全て20馬身以上の大差をつけられてゴールしました。スピードシンボリが他の馬と比べると能力的な差があったことはこの表からも明らかになりますが、それにしても他の馬たちは負けすぎでした。そのためスピードシンボリよりも強い、タケシバオーよりも強い馬を外に連れていかなくてはいけなかったのです。この間、ハクチカラ以来の勝利へ向けて大きな可能性を持った馬もいました。

 昭和でいうと昭和50年前後にあたる1970年代には数々のスターホースが登場しています。ハイセイコー、カブラヤオー、テスコガビー、トウショウボーイ、マルゼンスキーといつも先頭でゴールした馬たち。この中に実際に海外へ向かう予定だった馬もいます。そうあの馬です。

 テンポイント。祖母クモワカの話に始まり、クラシックでの悲運、パートナーの鹿戸騎手、トウショウボーイとの対決、そしてあの雪の日の出来事。テンポイントだけで1冊の本がかけるほど様々なエピソードを持つ馬でした。5歳時はほぼ無敵の強さを誇ったテンポイントは天皇賞春を勝った後、関係者の間で海外遠征の話が持ち上がります。これは2月に出発、6月にキングジョージに出走し、秋はフランスに渡って凱旋門賞、のちカナダでカナディアン・インターナショナルCS、アメリカでワシントンD.C.インターナショナルSを戦う年間を通じての遠征計画でした。これまでの遠征馬の中では実績的にはタケシバオーに優るとも及ばないほどのものを持ち、遠征時期も6歳春からという全盛期に遠征を行う、遠征期間は非常に長く約10カ月に及ぶため環境への適応が可能、さらに能力的にも稀代の名馬トウショウボーイを真っ向勝負で負かすことの出来た馬という、立ちふさがった壁を越えられる条件をいくつも兼ね備えていました。テンポイントでダメなら納得できる、テンポイントが長年の夢を叶えてくれる。みんなそんな思いだったでしょう。

 海外遠征への壮行レースとなった日経新春杯。1コーナーから2コーナーにかけてのテンポイントのスピードは一世一代のものだったと言います。あれから17年が過ぎたとき、テンポイントの姉から続く血が、香港にあった一つの壁を越えて見せました。



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