海外遠征史




8.欧州を走り続けたダービー馬

 時代はここより1980年代に入ります。ミスターシービー、シンボリルドルフの3冠達成の翌年、ダービーを勝ったのがシリウスシンボリでした。シンボリのオーナーだった和田共弘氏は過去スピードシンボリを海外へ送り込んでいるように、国際色強いオーナーで日本産の馬を国外デビューさせるということは既に何頭も行っていました。シンボリルドルフの全姉スイートコンコルド、スイートワイスやイースタンシンボリ、ジャムシードなどがこれにあたります。そういったバックグラウンドの元、シンボリの馬として時期的にもちょうど良いタイミングで登場したのがシンボリルドルフでした。早くから海外遠征のプランがあったルドルフでしたが、最も良い状態、良い条件でということで実際に遠征が行われるのは6歳春になります。そして替わりに遠征を行ったのが、シリウスシンボリなのです。

 過去の事実を振り返ることそして自らのスピードシンボリの遠征を考慮してか、和田氏は海外遠征は短期では結果が出せない、長期で欧州を走らせたいという事で、シリウスシンボリをダービー後すぐに7月のキングジョージへ向けて調整させるようにします。結果は8着と奮わなかったのですが、キングジョージをスタートに以降、英、独、仏、伊の4カ国で計14回、うちG1出走は6回にも及びました。初めは岡部騎手が騎乗していましたが、3走目から完全な委託厩舎&外国ジョッキーでその後のレースを戦っていきます。シリウスシンボリの見せ場的レースだったのは、4歳時のロワイヤルオーク賞(G1)での3着と凱旋門賞のステップレースフォア賞(G3)での2着でした。

 さらにシリウスシンボリは日本馬としてはスピードシンボリ、メジロムサシに続く史上3頭目の凱旋門賞出走馬となりました。ここでこのレース内容に少し触れることにします。1986年の凱旋門賞というとすぐに分かる方がいらっしゃると思いますが、勝ち馬となったのは今や日本でもお馴染みのあの馬でした。レースはシリウスシンボリはスタートがやや出遅れ気味、さらにスタート後すぐに前の馬が下げてきたため後方からの競馬となってしまいました。道中は終始後ろから2、3番手を追走し、落ちついた流れの中、先頭から最後方までは約10馬身程度でレースは進みます。フランス競馬らしく馬群が詰まり密集した状態、内は馬でいっぱいという形で最終コーナーへ。最終コーナーから直線へと入る時には既にシリウスシンボリはいっぱいで直線では全く伸びず前の馬との差をつめることはできません。一方、道中でシリウスシンボリのすぐ前を走っていたのがこのレースを勝った馬で、小豆色の帽子に緑地の赤いラインの勝負服、80年代欧州最強馬と言われたダンシングブレーヴでした。内に8頭ほどの馬が横1線に並ぶ大外を一気に前の馬を並ぶまもなく交わしたダンシングブレーヴは、キングジョージに続いて大レースをレコードで制覇、その後のダンシングブレーヴは周知の通り、極東の地で余生を過ごしているわけです。

 凱旋門賞後はフランスを中心に4戦し、海外で戦った14戦のうち凱旋門賞以外のレースでは多頭数レースでも1桁着順をキープしたシリウスシンボリでしたが、G1のガネイ賞を最後に帰国します。帰国してからは国内重賞を勝つことはなかったものの、毎日王冠でのオグリキャップの2着など6戦し、天皇賞秋を最後に引退しました。



前に戻る次に進む

参考資料一覧


トップページへ

御意見・御感想・ミスを発見した等は mukae@tky.threewebnet.or.jpまで