海外遠征史




9.ルドルフはなぜ負けた?

 これまで海外遠征を行った何頭もの馬の中で最も期待された馬と言えば、いうまでもなくシンボリルドルフでしょう。無敗で3冠を達成し、G1は7勝、日本最後のレースとなった5歳時の有馬記念では2冠馬ミホシンザンを相手にあれだけのレースをしたのですから。そんなルドルフがなぜ負けたのか、ここで検証していくことにします。

 幸か不幸か史上最強馬と言われるルドルフの海外遠征が実現した最大の要因はルドルフがシンボリの馬であったことにあります。前章でも紹介したようにシンボリのオーナー和田共弘氏は国際色豊かで国内だけに絞った視野でなく、国外にも強い熱意を持っていました。そんな和田氏のもと、ルドルフの遠征は当初、ヨーロッパを予定しており、フランスに渡り凱旋門賞に出走することが計画されていました。しかし有馬記念を圧勝したルドルフは短期の休養を取りすぐにまた調整が始まります。そう春のアメリカ遠征のために。アメリカ遠征は和田氏の考えで、それはアメリカで賞金を稼ぎ、その後ヨーロッパへ行くというものでした。対して調教師の野平祐二氏はこれまでの予定通り、秋に欧州遠征をすれば良いというもので、この点について何度か協議が行われましたが、しかしどちらも譲ることがなかったため、結局オーナーサイドの意向が優先されます。結果3/29のサンルイレイS、4/20のサンファンカピストラーノHに出走することが決まりました。

 こうしてアメリカ遠征が決まったルドルフはいつになく強めの調整が始まり、そして6歳の誕生日に出発することとなります。史上最強馬の遠征が決定されたことで、次第に周囲は盛り上がり始め、レースの衛星放送放送権をあるTV局そしてラジオ局が獲得し、さらに旅行代理店ではルドルフ観戦ツアーを掲げて、旅行者を募りました。そんな周囲の盛り上がりに対し、ルドルフに直に携わる人々はルドルフの異変に気が付き始めます。ルドルフの様子がおかしいと。

 この時、野平調教師、岡部騎手も実際にルドルフに乗り、ルドルフの脚部不安を即座に感じ、和田氏に遠征の中止を申し出ています。さすがに和田氏も不安を感じたのか決行か中止かの判断を下す前に、ルドルフを和田氏が最も信頼していると言って良い獣医に見せています。そしてその獣医が診て出した答えが「これまで通りで問題ない。」というものでした。こうして皇帝ルドルフはアメリカへと旅立つことになります。

 日本を離れるルドルフには身近なスタッフが付くことなく旅立ち、完全な預託という形でアメリカのR.マクアナリー調教師に預けられます。向こうでは通常の運動に加え半月ほど足慣らしを行い馬場にも慣れさせていきました。調整が進みレースが近づいた時期に野平調教師は1度、ルドルフの元に足を運んでいます。そしてその時のことを次のように話しています。「ルドルフに会いに現地に行ったら、向こうのスタッフが寄ってきて『すごい馬だ』ってルドルフを褒めるんです。それはそうだ、その辺の馬とは違いますから。でも彼らは気付いていなかった、脚の状態が全く回復していない、逆に危ない状態だったんです。」と。そして野平氏はレース数日前に到着しルドルフの調整を行う予定だった岡部騎手に、状態が良くないのであまり調教をやらないようにと伝えています。サンタアニタ競馬場でルドルフの調教をした岡部騎手は「明らかに万全な状態ではなかった。日本で調整していた頃もおかしかったが、さらに状態は悪化していた。全く違う馬に乗っているように感じ、出来ればレースには出して欲しくないと思った。そして調整も野平氏の言うようにあまりやらなかった」と語っています。そしてレース当日がやってきました。

 ルドルフは昭和61年3月29日サンタアニタ競馬場の芝2400m,G1のサンルイレイSに登場します。この時の出走頭数は7頭、コースは芝の長いコースながらも途中でダートコースを横切るというもので、どうもこの事は和田氏、野平氏を始め日本のスタッフは知らなかったようです。レース前の会見で、現地調教師のマクアナリー氏は「ルドルフが去年のジャパンカップぐらいに走れば、勝つ確率は95%はある。」と報道陣に話しています。こんな話を耳にした日本でルドルフに大きな期待を抱いていたファン達はルドルフの状態のことなど知る由もなくついにレースはスタートします。

 スタート後、中団に付けたルドルフは前半こそ他の馬に付いて行けたものの、次第にに馬群に付いていけなくなり、コーナーで膨らむなどルドルフのリズムも走り方もおかしく、結局あとはそのまま6着でゴールします。鞍上の岡部騎手もスタート後のいきっぷりの悪さを感じ、途中でがくんときたことで、あとはゴールまで馬を壊さないようにそうっと乗ってきたと証言しています。故障の具合は種牡馬入りまで困難にするようなケガでなく不幸中の幸いと言うのか、全治6ヶ月ほどのケガで済みました。この後すぐに和田氏はルドルフを慌てて帰国させています。そして秋のルドルフの欧州遠征は実現することなく引退が決定されました。

 テンポイントで叶わなかった最強馬の遠征。しかしついに出走したシンボリルドルフ。残念なことにルドルフに託した希望もまた叶わず、以降は海外遠征がほとんど減ってしまいます。遠征のパイオニア、スピードシンボリの血を引くシンボリルドルフは再び祖父の血を、そして自身の血を海を越えた国で走らせてくれる、そう思っています。あの飛ぶようなステップのトウカイテイオー。その子が祖先の無念を晴らしてくれるかも知れません。きっとこの血が絶えることはないでしょうね。

日付馬名性齢レース名距離騎手頭数結果勝ち馬
1986.3.29 シンボリルドルフ 牡6 サンルイレイS アメリカ G1 芝2400m 岡部幸雄 7 6 Dahar





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